サウンドインスタレーション
場所...ideenshop, Berlin
期間...30.10. - 2.11.1998
コンタクト
© talking.sine 2009 - 2024
talking.sine

1.1

ヨシダ+フランクによる展覧会「talking.sine」はサウンドインスタレーションとして公開された。
彼らの作品を通常のサウンドアート、サウンドインスタレーションとして観に来た者はその期待を裏切られる。なぜなら展示されたサウンド・オブジェからは機械のかなり小さい雑音を除き、音を聞くことが出来ないからだ。
このインスタレーションは数種のスピーカーによって成り立っている。
スピーカーは目に見えて振動、鼓動、息づいているものの肝心の音は聞こえてこない。
この疑問はすぐに明かされる:
ヨシダ+フランクは音を音色ではなくマテリアルとして、人間の不可聴域の低音を使用している。1−15ヘルツの低音はある程度の強さを超えたときに人間の身体に現れる症状、不快感、吐き気、頭痛等によってのみ認識される*。それに引き換えここで使われている音響は全く無害である。

これは物理学的実験である:
空間を移動し物体を振動させる不可視、不可聴のモノが有る。さらに不可聴だが計量できるモノが有る。ヨシダ+フランクの実験はこの現象を遊び心あふれる方法で体験、知覚させるものである。

今日誰もが日常あたりまえのように電流、電波、紫外線、マイクロウェーブと関わっている。にもかかわらずここでは多分ちょっとした不安を感じるだろう:この不可聴のエネルギーは時々メンブランを振動させる以外に何を引き起こすだろうか?横隔膜がちょっとムズムズしたような気がし、こめかみにかすかな圧迫を感じ電子スモッグと地波を連想する。
私たちは自分のとても限定された知覚におびえる − このインスタレーションは心霊的なオーラを放つ − シグナルは傍受されるのか?そして誰がこのスピーカーを通し話しているのか?

自ずから話すスピーカー。自主性を獲得し、サインウェーブによるモノローグ、ダイアローグを展開する − トーキング・サイン

私たち、そして偶然通りかかった通行人はまずショウウィンドウから歓迎される:
窓際に並んで設置された2つのスピーカーはラテックスで密閉され歩道に向けられている。ラテックスが交互に窓ガラスに押し付けられ油分の痕を残す。ラテックスの伸び縮みはスピーカーの低音波による振動を視覚的に強調する。窓ガラスへの接触はラッテクスの動きにさらにアクセントを付加する。
この暗示的なそぶりは物理学的実験の域を遥かに超えている:
私たちが目にするのはちょっと心惹かれる、何かを伝えようとし、汗をかき、動くほとんど猥褻とも言えるもの、もしくは絶望的に(死にものぐるいで)注目されようとしているものか?

会場内では向き合って壁にかけられたスピーカーが無音のダイアローグを展開している。極力シンプルな会話:片方のスピーカーは「Ja / はい」もう片方は「Nein / いいえ」という言葉を発している − これは録音した人間の声を何オクターヴも下げ、引き延ばしたもの。
両方のスピーカーは発信者であると同時に受信者でもあり、私たちの頭を超え、また貫いて、聞き慣れない言語でささやきあっている。辛抱強く見つめるとメンブランが微かに振動しているのが分かる。

別な壁にはサイコロ型の厚紙をまとった2つの小さなスピーカーが見られる。ts-001号、ts-002号と名付けられたこのオブジェは時々変わるリズムに合わせてひそかに前後に鼓動している。
これは既に見てきた他のオブジェと違い自己充足的で、独り言をいい、時にのんびりと時にせわしく跳ねている。既に言及した電子スモッグシンドロームなんて心配せずに、愛らしいペットになりそうだ。

この展覧会において擬人化の豊富さに不足はない − 解釈における多様性も同様に無限だ。ここで詳しく言及することは避けるが現代のコミュニケーションを例にとっても分かるだろう(この伝達方法も不可聴、不可視である)。

アンケ・ハーゲマン

 

*一つの例として「シックビル症候群」があげられる。建物の中の換気管が空調システムの起こすフリークエンスで振動することによりその近くで働いている人間は集中力の欠乏、不快感等を訴える。

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